道元の有時に学ぶ ―永遠に円環する時間の世界―   和田青渓           

道元の有時に学ぶ

―永遠に円環する時間の世界―                           和田 青渓

 プロローグ

  グローバルな情報社会の潮流に、道元の教えが船出をしている。世界の各国から、参学者がネット情報網によって、有時の時間論を学ぼうとしている。道元を学ぶものにとって、教えが広がることは有難いことである。
  特に、有時の巻は『正法眼蔵』七十五巻の中で、世界の禅者・哲学者・研究者の知的探求の対象と目される。有時の時間論は、覚者・道元から観た、仏教論・宇宙論・時間論・空間論を詳細に記している。これらの時空論は、専門家・一般者にも、知的興味を抱かせるには十分であり、答えるだけの超高度な哲学的論理性があるものと信じる。
  また、アップルの創業者スティーブ・ジョブズが、禅に魅せられたことによって、道元の名前が、世界中の人々に知られることになる。同時に有時の巻は、二十世紀のドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』の時空・哲学的論議の対象の巻でもある。     
  道元の教えは、ネット情報網の世界だけではなく、ヨーロッパ、北米、各国各地に、曹洞禅の修行僧たちが、禅堂を開くことによって教えが深く根付いている。永平寺で大寂中の禅師の想像を超えた現象が、世界で展開されているのだ。
  確かに、禅師の教えがグローバル化されることは歓迎すべきである。しかしながら、私は同時に教義の変質を恐れる。ご存じの通り、宗教・哲学等々は、分派分裂を起こすのが、世の常である。仏教は原始仏教から大乗仏教へ、キリスト教も、ギリシャ正教・カトリック・プロテスタント等々。イスラム教も同様である。そのことによって、宗教的殺戮が世界各地で行われている。ネット情報を媒介として、教義が独り歩きすることを危惧しているのである。
  禅師の教えは、ネット上の情報・知識・教義が、正伝の仏法の全ての教えではない。中核をなすのは、只管打坐・永平清規・問法等々である。これらが統一融合されて、道元禅は成立する。思想・情報だけが先行しないのである。有時の時間論だけが、一人歩きするものではない。必ず『正法眼蔵』・『永平広録』等々も参学して頂きたい。そのことが、道元禅師の正伝の仏法を正しく理解する一歩と確信している。
  私自身、縁があって、ネット上の発表の場を拝借し有時の時間論を公開することにした。この有時の時間論は約六百枚の原稿の中から、有時の巻の思想的基本を要約したものである。そのため、一部論理的に統一性が欠けるかもしれない。ご了承を願いたい。
  有時の巻は、禅師の『正法眼蔵』九十五巻の中で、特に難解であると云われている。そのため、第一篇と第二編によって、有時の宗教的時間の世界を明らかにすることにした。二編制にした理由として、有時の時間論は難解である為、第一編で禅師の身心脱落の体験を解明し、第二編の中で禅師が内証した仏の観点で解訳しようと考えたからである。また禅師の文章の品位を辱めることを承知で、現代的事例の瑜話を多数採用することにした。私の文章表現の未熟さ故でもある。まず、第一篇だけでも読解し頂いても結構である。その視点で、有時やその他の巻を読むための参考にしていただければ幸いである。

2017年7月3日

正法眼蔵第二十  有 時  

 

有時

 

古仏言

 有時高々峯頂立、

 有時深々海底行。

 有時三頭八臂、

 有時丈六八尺。

 有時拄杖払子、

 有時露柱燈籠。

 有時張三李四、

 有時大地虚空。

 

いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆへに時の荘厳光明あり、いまの十二時に習学すべし。三頭八臂これ時なり、時なるがゆへにいまの十二時に一如なるべし。

十二時の長遠短促、いまだ度量せずといゑども、これを十二時といふ。去来の方跡あきらかなるによりて、人これを疑著せず、疑著せざれどもしれるにあらず。衆生もとよりしらざる毎物毎事を疑著すること一定せざるがゆへに、疑著する前程、かならずしもいまの疑著に符合することなし。たゞ疑著しばらく時なるのみなり。

われを排列しおきて尽界とせり、この尽界の頭々頭々を、時々なりと覰見すべし。物々の相礙せざるは、時々の相礙せざるがごとし。このゆへに同時発心あり、同心発時なり。および修行成道もかくのごとし。われを排列してわれこれをみるなり。自己の時なる道理、それかくのごとし。

恁麼も道理なるゆへに、尽地に万象百草あり、一草一象おのゝ尽地にあることを参学すべし。かくのごとくの往来は、修行の発足なり。到恁麼の田地のとき、すなはち一草一象なり、会象不会象なり、会草不会草なり。正当恁麼時のみなるがゆへに、有時みな尽時なり、有草有象ともに時なり。時々の時に尽有尽界あるなり。しばらくいまの時にもれたる尽有尽界ありやなしやと観想すべし。

しかあるを、仏法をならはざる凡夫の時節にあらゆる見解は、有時のことばをきくにおもはく、あるときは三頭八臂となれりき、あるときは丈六八尺となれりき。たとゑば、河をすぎ、山をすぎしがごとくなりと。いまはその山河、たとひあるらめども、われすぎゝたりて、いま玉殿朱楼に処せり、山河とわれと、天と地となりとおもふ。

しかあれども、道理この一条のみにあらず。いはゆる山をのぼり河をわたりし時にわれありき、われに時あるべし。われすでにあり、時さるべからず。時もし去来の相にあらずは、上山の時は有時の而今なり。時もし去来の相を保任せば、われに有時の而今ある、これ有時なり。かの上山度河の時、この玉殿朱楼の時を呑却せざらんや、吐却せざらんや。

三頭八臂はきのふの時なり、丈六八尺はけふの時なり。しかあれども、その昨今の道理、たゞこれ山のなかに直入して、千峯万峯みわたす時節なり、すぎぬるにあらず。三頭八臂もすなわちわが有時にて一経す、彼方に有るに似たれども而今なり。丈六八臂もすなはちわが有時にて一経す、彼処にあるににたれども而今なり。

 しかあれば、松も時なり、竹も時なり。時は飛去するとのみ解会すべからず、飛去は時の能とのみは学すべからず。時もし飛去に一任せば、間隙ありぬべし。有時の道を経聞せざるは、すぎぬるとのみ学するによりてなり。要をとりていはゞ、尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。

 有時に経歴の功徳あり、いはゆる今日より明日へ経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日ゑ経歴す。今日より今日に経歴す、明日より明日に経歴す。経歴はそれ時の功徳なるがゆへに。

古今の時、かさなれるにあらず、ならびつもれるにあらざれども、青原も時なり、黄檗も時なり、江西も石頭も時なり。自他すでに時なるがゆへに、修証は諸時なり。入泥入水おなじく時なり。いまの凡夫の見、および見の因縁、これ凡夫のみるところなりといゑども、凡夫の法にあらず、法しばらく凡夫を因縁せるのみなり。この時、この有は、法にあらずと学するがゆへに、丈六金身はわれにあらずと認ずるなり。われを丈六金身にあらずとのがれんとする、またすなはち有時の片々なり、未証拠者の看々なり。

いま世界に排列せるむま・ひつじをあらしむるも、住法位の恁麼なる昇降上下なり。ねずみも時なり、とらも時なり、生も時なり、仏も時なり。この時、三頭八臂にて尽界を証し、丈六金身にて尽界を証す。それ尽界をもて尽界を界尽するを、究尽するとはゆふなり。丈六金身をもて丈六金身するを、発心・修行・菩提・涅槃と現成する、すなはち有なり、時なり、尽時を尽有と究尽するのみ、さらに剰法なし、剰法これ剰法なるがゆへに。たとひ半究尽の有時も、半有時の究尽なり。たとひ蹉過すとみゆる形段も有なり。さらにかれにまかすれば、蹉過の現成する前後ながら、有時の住位なり。住法位の活々地なる、これ有時なり。無と動著すべからず、有と強為すべから  ず。時は一向にすぐるとのみ計功して、未到と解会せず。解会は時なりといへども、他にしかるる縁なし。去来と認じて、住位の有時と徹見せる皮袋なし。いはんや透関の時あらんや。たとひ住位を認ずとも、たれか既得恁麼の保任を道得せん。たとひ恁麼と道得せることひさしきを、いまだ面目現前を摸せざるなし。凡夫の有時なるに一任すれば、菩提、涅槃もわずかに去来の相のみなる有時なり。

おほよそ、蘿籠とどまらず有時現成なり。いま右界に現成し左界に現成する天王天衆、いまもわが尽力する有時なり。その余外にある水陸の衆有時、これわがいま尽力して現成するなり。冥陽に有時なる諸類諸頭、みなわが尽力現成なり、尽力経歴なり。わがいま尽力経歴にあらざれば、一法一物も現成することなし、経歴することなしと参学すべし。

経歴といふは風雨の東西するがごとく学しきたるべからず。尽界は不動転なるにあらず、不進退なるにあらず、経歴なり。経歴は、たとへば春のごとし、春に許多般の様子あり、これを経歴とゆふ。外物なきに経歴すると参学すべし。たとへば、春の経歴はかならず春を経歴するなり。経歴は春にあらざれども、春の経歴なるがゆへに、経歴いま春の時に成道せり。審細に参来参去すべし。経歴をいふに、境は外頭にして、能経歴の法は、東にむきて百千世界をゆきすぎて、百千万劫をふるとおもふは、仏道の参学、これのみを専一にせざるなり。

薬山弘道大師、ちなみに無際大師の指示によりて、江西大寂禅師に参問す。「三乗十二分教、某甲ほゞその宗旨をあきらむ、如何是祖師西来意」。

かくのごとくとふに、大寂禅師いはく、

 

有時教伊揚眉瞬目、《ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむ、

有時不教伊揚眉瞬目。 ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしめず。

有時教伊揚眉瞬目者是 ある時は伊をして眉を揚げ目を瞬がしむる者是

有時教伊揚眉瞬目者。 ある時は伊して眉を揚げ目を瞬がしむる者不是》

薬山きゝて大悟し、大寂にまふす、「某甲かって石頭にありし、蚊子の鉄牛にのぼれるがごとし」。

 

大寂の道取するところ、余者とおなじからず。眉目は山海なるべし、山海は眉目なるゆへに。その「教伊揚」は山をみるべし、その「教伊瞬」は海を宗すべし。「是」は「伊」に慣習せり、「伊」は「教」に誘引せらる。「不是」は「不教伊」にあらず、「不教伊」は「不是」にあらず、これらともに有時なり。

 山も時なり、海も時なり。時にあらざれば山海あるべからず、山海の而今に時あらずとすべからず。時もし懐すれば山海も懐す、時もし不懐なれば、山海も不懐なり。この道理に明星出現す、如来出現す、眼睛出現す、拈花出現す。これ時なり。時にあらざれば不恁麼なり。

 

葉県の帰省禅師は、臨済の法孫なり、首山の嫡嗣なり。あるとき、大衆にしめしていはく、

 

有時意到句不到 《ある時は意到りて句到らず、

有時句到意不到。ある時は句到りて意到らず。

有時意句両倶到、ある時は意句両つ倶に到る、

有時意句倶不到。 ある時は意句倶に到らず》

 

「意」「句」ともに有時なり、「到」「不到」ともに有時なり。到時未了なりといへども不到時来なり。意は驢なり、句は馬なり。馬を句とし、驢を意とせり。「到」それ来にあらず、「不到」これ未にあらず、有時かくのごとくなり。到は到に罣礙せられて、不到に罣礙せられず。不到は不到に罣礙せられて、到に罣礙せられず。意は意をさへ、意をみる。句は句をさへ、句をみる。礙は礙をさへ、礙をみる。礙は礙を礙するなり、これ時なり。礙は他法に使得せらるといへども、他法を礙する礙いまだあらざるなり。我逢人なり人逢人なり、我逢我なり、出逢出なり。これらもし時をゑざるには、恁麼ならざるなり。

又、意は現成公按の時なり、句は向上関捩の時なり。到は脱体の時なり、不到は即此離此の時なり。かくのごとく辨肯すべし、有時すべし。         

 

向来の尊宿、ともに恁麼いふと有時も、さらに道取すべきところなからんや。いふべし、

 

意句半到也有時、

意句半不到也有時。

かくのごとくの参究あるべきなり。

 

教伊揚眉瞬目也半有時、

教伊揚眉瞬目也錯有時、

不教伊揚眉瞬目也錯々有時。

 

恁麼のごとく参来参去、参到参不到する、有時の時なり。

 

正法眼蔵有時第二十

 

仁治元年庚子開冬日書干興聖宝林寺

寛元癸卯夏安居書写 懐弉

目次
第一編 
道元の身心脱落(大悟)

序 章 有時の時間論は難解である 

第一章 仏の観点
 道元の身心脱落と仏の観点
  1 道元の脱落
  2 雲門の透脱
  3 漸源の世界崩壊 
  4 身心脱落は主客脱落地(非思量)
  5 坐禅の非思量(解脱の境地・三昧)
 第二章 垂直正中線脱落(大悟の論理的説明・時空前後際断)    
  1 凡夫の時空観と仏の時空観
   [1] 凡夫の時空(三次元の縦・横・高さ・一次元の過去、現在、未来) 
   [2] 仏の時空観(自己・時間・空間・実相における四次元的円融)
  2 当観時節因縁(凡夫時空即仏時空の脱落)
  3 当観
  4 山手線の瑜話  
  (1)四次元的時空世界 
  (2)身心脱落と垂直正中線脱落(永遠)
第三章 大悟の体験における二存在
  1 禅宗と天台宗
  2 隔歴三諦と円融三諦 
  3 時間の超越と時間の現成
第四章 円融三諦と刹那生滅時間
  1 円環時間と三つの時間(独楽の回転)

  2 有時の円環時間論(行持道環)

第二編

有時の時間論
有時(本文と訳文)
蓋時の章
  1 有時
  2 古仏言
仏の時間と凡夫の時間の章
身心脱落(大悟)の章
正当恁麼時の章(垂直正中線脱落)
仏向上事の章(悟りと修行は一如)
  1 凡夫の時間とは
  2 仏の時間とは
  3 刹那時間と円環時間
  4 脱落と蓋時と尽現
垂直正中線脱落の章(リズムとハーモニー)
春の時節に成道の章(自己と時間は不二)
世界と時間の章(山も時間・海も時間)
  1 山も時 海も時
永遠と円環と時間の世界の章
全宇宙は蓋時である章(道元の時間観)


主要引用文献・参考文献・研究書の一覧表

エピローグ                   
謝辞 

凡例
一 『道元 上・下』(『日本思想体系、寺田 透・水野弥穂子』岩波書店刊行、一九七〇年五月二五日)を底本とした。随時、『全訳 正法眼蔵〈五巻〉』(中村宗一、誠信書房、一九七一年三月一〇年)・『道元禅師全集〈第一巻・第二巻〉』(河村孝道・校訂、註訳。春秋社、一九九一年一月二〇年)を参考にした。
二 引用文献・参考文献・論文等は、最後に表示させていただいた。此の度は要約文のため全て表示したわけではない。あくまでも、「有時」巻を理解するために重要と思われる、宗典・文献・論文を中心に記述した。
三 私は、曹洞宗の僧侶ではなく在家の眼蔵参学者である。宗門という枠から離れた視点で、有時の時間論を訳すことにした。
四 有時を訳出するために心掛けたのは、なるべく『正法眼蔵御聞書抄』を基本にし、中国天台宗の教えを参考にした。理由は、禅師の身心脱落の体験が、天台の「円頓」に近いのではないかと推察するからである。
五 本文のなかで、道元禅師と敬称すべきではあるが、禅師・道元と略称させていただく。
六 最後に、参考・印刷については許可することとする。しかし、改ざん・コピーなどのそれ以外については不可とさせて頂く。

序 章 有時の時間論は難解である

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_01.pdf

第一章 仏の観点
 道元の身心脱落と仏の観点
  1 道元の脱落
  2 雲門の透脱
  3 漸源の世界崩壊 
  4 身心脱落は主客脱落地(非思量)
  5 坐禅の非思量(解脱の境地・三昧)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_02.pdf

 第二章 垂直正中線脱落(大悟の論理的説明・時空前後際断)    
  1 凡夫の時空観と仏の時空観
   [1] 凡夫の時空(三次元の縦・横・高さ・一次元の過去、現在、未来) 
   [2] 仏の時空観(自己・時間・空間・実相における四次元的円融)
  2 当観時節因縁(凡夫時空即仏時空の脱落)
  3 当観
  4 山手線の瑜話  
  (1)四次元的時空世界 
  (2)身心脱落と垂直正中線脱落(永遠)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_03.pdf

 第三章 大悟の体験における二存在
  1 禅宗と天台宗
  2 隔歴三諦と円融三諦 
  3 時間の超越と時間の現成

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_04.pdf

第四章 円融三諦と刹那生滅時間
  1 円環時間と三つの時間(独楽の回転)

  2 有時の円環時間論(行持道環)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_05.pdf

第二編

有時の時間論
有時(本文と訳文)
蓋時の章
  1 有時
  2 古仏言

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_06.pdf

仏の時間と凡夫の時間の章

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_07.pdf

身心脱落(大悟)の章

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_08.pdf

正当恁麼時の章(垂直正中線脱落)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_09.pdf

仏向上事の章(悟りと修行は一如)
  1 凡夫の時間とは
  2 仏の時間とは
  3 刹那時間と円環時間
  4 脱落と蓋時と尽現

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_10.pdf

垂直正中線脱落の章(リズムとハーモニー)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_11_1

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_11_2

春の時節に成道の章(自己と時間は不二)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_12

世界と時間の章(山も時間・海も時間)
  1 山も時 海も時

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_13_1

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_13_2

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_13_3

永遠と円環と時間の世界の章

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_14

全宇宙は蓋時である章(道元の時間観)

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_15

主要引用文献・参考文献・研究書の一覧表

エピローグ

謝辞

http://ujitoseike.web.fc2.com/dougennoujinimanabu_16

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